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意外に知らないセブ、マクタンの歴史

近年セブは留学生や旅行客で数多くの日本人が訪れます。旅行や語学留学で訪れる国の歴史を知ると少し楽しみや、その国の理解が深まるかもしれません。そのため今回はセブ、マクタンの歴史を簡単に皆さんにご紹介します。
マゼラン来国
セブ、マクタンが歴史上大きく注目された時は1521年です。誰でも名前は聞いたことがあるでしょうマゼランがフィリピンをキリスト教へ改宗をさせるため、来国したのです。
その時の族長ラプラプはマゼランの改宗には応じず、その場で決闘を行いました。ここではラプラプが勝利し、ひと段落着いたのですが、その時ヨーロッパは大航海時代で、各列国は香辛料や新たな土地を求め、東南アジアに侵攻していました。
スペインによる長きに渡る統治
そして、スペインの貴族レガスピにより1564年にセブ、1569年にパナイ、1570年にマニラと次々に制圧され、その後333年間もの間スペインの統治が続きました。
現在のフィリピンという名前も当時のスペイン王フェリペ2世の名前が由来です。
アメリカによる統治
しかし、フィリピンの植民地化はスペインからだけには留まりませんでした。
当時、スペインに植民地化されていたフィリピンでは、スペインからの独立を目指し、民間で独立運動が盛んに行われていました。そこへ参入したのが大国アメリカです。アメリカはフィリピンの独立運動を支援するという名目で米西戦争を起こし、それに勝利したアメリカはフィリピンを植民地化します。
その後アメリカに騙された形になったフィリピン国民はアメリカに対し、米比戦争を起こしますが大国アメリカに勝つどころか、60万人の方が殺害されました。
時は経ち、1916年アメリカでフィリピンの自治権を認める法律が可決され、10年後の独立が約束されました。
日本による統治
第二次世界大戦がはじまり、日本は当時アメリカ領であったフィリピンを攻撃し、一時的な統治を行いました。
現在観光地として有名な「サン・ペドロ要塞」は当時日本軍が捕虜を監禁する施設として使われていました。しかし第二次世界大戦が終結し、日本の敗北が決まると同時に、日本のフィリピン統治も終了し、GHQのマッカーサーにより、ようやくフィリピンの独立が認められました。
まとめ
フィリピンは植民地化と独立を繰り返した国だったのです。現在フィリピン人が公用語で英語を話す理由はアメリカの統治時代が大きく影響しております。
旅行や滞在先の歴史を知ると見方も変わり、よりその国対する理解が深まると思います!
(AKITO)
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